2012年 04月 17日
夜桜 |
夜桜が舞う中、俄かに思い出した師匠の一言。
ーー「私は、生涯のうちで、あと何度、この光景を目にすることができるでしょう?」
あの日、めずらしく師匠は、物思いに耽っていた。その横顔には、いつもの厳しさは
なく、どこか切なげだった。
「突然、なにを言い出すんですか? 師匠らしくもないセリフですよ」
サァァァ……と一陣の風が吹く中、師匠は「この道を去るなら今だよ」と私に背を
向けた。
「……師匠もしつこい方ですね。私の進む道は、たった一つ。ここしかないんです!」
「相変わらず、あんたは馬鹿弟子だね。だったら一つだけ、教えてあげるよ。作家は
表現を極めてゆくにつれ、孤独になってゆくもの。いずれは、修羅になるかも知れない
のだよ。あんたは、その苦しみに耐えられるかい?」と鼻を鳴らす師匠。
「修羅? では、師匠には、この桜の美しさが伝わってないんですか?」
「……どうかね」
初めて、出会った時ーー女でありながら、化粧など一度もしたことがないと言った口。
そして、幻想的な美を求める私を睨みつけた双の目。
いつも髪を隠すようにしてバンダナを巻いた頭ーーそこには、常に作品のことしか存在
しないと、師匠は豪語していた。
でも、すべては、弟子を想って接してくれていた結果なのだ。
ーー中途半端な気持ちで、作家になるな!
その警告を本気でしてくれた師匠。そんな優しい気遣いをしてくれる師匠が修羅な
わけがないのだ。
「まあ、今のあんたの力じゃ、修羅どころか、野垂れ死にする方が先だろうけどね」
「ご心配、ありがとうございます。でも、この世界で生き抜いてみせます。なんせ、
修羅と化した師匠の弟子ですから。そう簡単には、くたばりませんよ。師匠の沽券に
関わりますし」
「ひよっこのくせに口だけは、達者で困る」ーーその刹那、師匠の目に光ったもの。
それは、まぐれもなく涙だった。
あれから、どれだけの月日が流れたのかーーもう会えぬであろう師匠。それでも、私は、
あなたの弟子でよかった。
夜桜が舞う中、私は「ありがとうございました」と一礼し、都会の闇に向かって歩き
出した。
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by yunerian
| 2012-04-17 01:08
| 日常